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Archive for 2008年4月

誰かを想うということは、始めることは簡単だけど、続けることは難しい。
あれだけ強く想っていた人のことも今では余計な荷物としか思えないなんて話はゴロゴロしている。

想い始めたころのあの輝くような日々ってのは一体脳内で何が出てるんだろうって思うぐらい世界の見え方が変わってしまう。
それこそ昔の昔から書かれていたようなことなんだけど。

気もそぞろになってちょっと集中力を欠きがちになるのが難だけど、でも全ての事象を肯定できちゃうかのような多幸感と、逆に想い焦がれて全ての不幸を背負ってしまったような苦しみが同居している感覚はなんか愉しい。
またいつ味わえるか、もう味わえないかはわからないけれど、そういう初々しい想いがもしまた生まれるなら大切にしたいなって思う。

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一日一チベットリンクとは
id:essaによって提案された、ネット情報発信しているユーザーの間で、「しばらくの間、一日に一つ、なんでもいいからチベット関係URLリンクしようという運動」。英語圏ではEyes on Tibet

なるほど。「なんでもいいから」とか「適当にパッと」選べばよい。」とかはちょっと「ん?」と思うけど、そこで「ちゃんと考えてから」とか書くと参加のしきいが上がっちゃうからなんだろうね。

今日から意識してみよ。

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ずっと鼻炎持ちっぽい体質である。
20歳ぐらいで花粉症になって、そのころはまだシーズンが終わってしばらく暖かい時期は鼻がすっきりと通っていることもあったのだけど、ここ3年くらいは年中鼻がつまっている感じがしている。
ただ、さらさらの鼻水は処置には困るけれど、鼻をかんでしまえばしばらく通るし、ストレス少な目なんだけど、粘性が高くなってくると、鼻かんでも出てこない、乾燥して鼻クソ化し取れない、そして忘れたころにこんにちはしてきて恥ずかしいwと散々な目に遭う。
子供が風邪をひいたときに口で吸うタイプの鼻吸い器は何度も使ったことがあるが、あれは吸う方は息上がるし、やられた方も目の奥の方が引きずり出されるような感覚があって怖いようで凄く泣いて暴れる、故にお互いに疲れるという状況で、しかも基本的に自分の鼻を吸うことは出来ない(できるの?)

その目の奥の方が引きずり出される感覚っていうのは、大人になってから自分の鼻を吸ってもらったことがあってそのときに覚えた感覚なんだけど、結構理由も無く不安になる感覚でこりゃ子供は我慢できんでしょうと思った。
が、そうも言ってられない。
そして今となっては、そんな恐怖を味わってもいいから楽になりたい欲求の方が強まってきた。

しかし手動の鼻吸い器で吸ってもらうのは相手にも負荷がかかるし、なんかはずかしいし、何より子供の鼻ですらあれだけパワー使ってそれでも吸えない場合があるのに、大人だとどうなんだ?という不安がある。
耳鼻科行って機械で吸ってもらえば確実だろうけど、耳鼻科なんてどこも混んでるし待合室は病人だらけだから別の病気をもらってきそうだ。

と検索してみると、こういう奴を発見。どうも家庭用だと定番っぽい。
アスピレーター M20
ウホッいいお値段w

でも欲しい。評判を読んでてもとりあえずこれで事故とかは無いようだ。
脳内欲しいリストに強く刻まれた。
欲しいなぁ。

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変わりゆく「心肺蘇生法」のやり方
http://www.excite.co.jp/News/bit/00091192430542.html
およそ10年ぶりに消防署の「普通救命講習」を受講してみた。現役消防士さんが、人形を使って心肺蘇生法を教えてくれる。驚いたのは「脈は取らなくていいです」と言われたこと。人工呼吸すら省略してもいいらしい。

自分が心配蘇生法について習ったのは19歳のときにバイクの免許を取るための3時限の講習だったな。
どうやらそのときにマウスピース貰って頑張った人工呼吸はひとまず省略してよいらしい。
確かに、記事にもあるが、感染症とか生理的な抵抗感を考慮すると、リスクが少ないなら省略出来た方がハードル下がるだろうね。

これまでの人生で心肺蘇生法が役立ったとか、役立たせるべきだった場面に遭遇したことはないけれど、これは覚えておきたところ。

ところで、どちらかというと事故や災害が目の前で起こったときに、冷静になることの方が困難だと思うんだ。
今まで110番や119番をしたことが何回かあるけど、やはりその現場を見た時点で程度がどんなのであれば動揺しているし、後で記憶を辿るとなんでこんなにテンパってたんだろうって思う行動があったりする。
一応テンパってそうだな自分って思う度に深呼吸をしよう、とおまじない的に思っているのでそれで全く役立たずな状態になったことは無いけれど、それでも次に同じような場面に遭遇したときにちゃんと対応できるかは非常に怪しいと思っている。

普段の想像力や判断力が通用しないというか、発揮できない場面が想定される場合はこれはやはり訓練で体に染みこませるしかないんだろうね。

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バカになった

さっきの記事で思い出した。
当時これ聴いてて、バカになれない自分に嫌気さしまくってた気分まで。

自分の場合は。。。中一まではまともだったまともだったのにー♪

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魚津市議18人決まる 初の女性3議席 投票率最低71・03%
http://www.chunichi.co.jp/article/toyama/20080421/CK2008042102005407.html
魚津市議選(定数一八)は二十日、投開票され、十八人の新議員が決まった。前回無投票で八年ぶりの選挙戦となったが、投票率は71・03%で、過去最低だった一九九六年(81・06%)を10・03ポイント下回った。 (武田寛史)

ぶっちぎり一位は公明の罠wま、そういうもんでしょ。
現職議員で落ちちゃった人は、何かやらかしたというより相当存在感が無かったってことなんじゃないかなぁと思ったり。
市議会議員と仲良くしなきゃ死活問題になるような仕事の人ってそれほど多いわけじゃないし、かといって地元の行政を考えると無視も出来ないなーぐらいが杉村太蔵より少し年上世代な俺の感覚なわけだけど、選挙の際に情報見てても評価に困るのがとりたてて変なことも言っていないけど、主義主張が良くわからない人。
どうせ市政レベルの予算じゃいろいろと限界があるし、よほどの特需(ぁ、新幹線。。。)でもなければ暗い闇っぷりを発揮するような悪いことはできんでしょうから、清廉潔白というよりは限られた手駒で惰性じゃない何かを出してくれそうな候補者を選びたいなと思う。
そんな中、

浜田泰友(はまだやすとも) 30 無 新 <1> 
 (元)ソフトウェア開発会社員▽三ケ  

おぉ!もろ太蔵世代!そして(元)ってことは無職!(だから何と言われれば何もないけど)
いろいろ思うところあっての出馬、そして当選ってことでぜひとも頑張って欲しいなと。
地方自治の議会はもっと若い人入れるべきと思うのですよ。政治家の出世コースはいろいろあるだろうけど、地方自治から国政に繋げるという意味では地方の議会で育った若手が県政、そして国政へ出て行くというパターンがもっとあっていいと思う。

昭和4、50年代生まれって、バカになった奴がモテる世代だったから、こうやって矢が飛んできそうな場所にわざわざ顔出してくる奴は育てていかないと。俺ら今後高齢化社会のとばっちりを一番くらう世代なので、自身が政治に身を投じるかどうか別として(向き不向きもあるし)問題意識持ってかないと先暗いのよね。そういうときに同世代の議員が居るというのは議論してみるとか、話を聞いてみるとかする上で垣根が低くなって良いなと思うのですよ。

(追記)この書き方だと、「若いのにわざわざ政治の世界に身を投じようとする奴=バカ」といったニュアンスで読めるので補足。
そうじゃなくて、バカな奴がもてるから、政治とか経済とか人権問題とか真面目な話題は避けて面白おかしく生きるのが得策だと思ってる世代だから、そういう生活を抜けて地方自治の政治の世界へ身を投じる(=損な役回りを引き受ける)という決断が貴重であるということでした。
もちろん本人が損な役割だとは思っていないかもしれないし、損な役回りを引き受けることが自身の存在を世間に認めさせる手段だと冷静に判断しての行動かもしれない。(他の理由かもしれないし、実はあんまり考えていないのかもしれないが)
いろんな現実にぶち当たって右にも左にも大きく曲がってしまうかもしれないし、凄く痛い人になってしまうかもしれない。でもそれはそうやって叩き台に上がった人間でしか、俺らは見守れないわけで、その対象として出てきたんだから貴重ですよと。

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縮退モード

先週は久々に生活のリズムが狂うのほどの忙しさがあり、体力的にもずいぶん削られてしまった感じがしている。
そんな中でもブログの更新は続けていたんだけど、濃度はどんどん下がって週末は手付かず仕舞い。
でもPCの前には寝る前などに結構居た。

日々のよしなしごとや思ったことを簡単にでも書き留められるような時間はかなりあったはずなのに全くそんな気が起こらなかった。
そんな日が数日続いて、これまでのブログは三日坊主状態で放置になり、数ヶ月か後にIDごと削除ということになっていたんだなと思い出してみる。

嗚呼ここで書いてるブログもまった三日坊主状態になっていくんだなぁと漠然と残念に思いながら思索していると、どうもこのブログの書けなさっぷりというか筆不精っぷりというのは、アウトプット過多のときに発生するんだなと気づいた。
先週一週間というのはとにかく決められた目標に向かってのアウトプットを続ける日々だった。そこで脳内の何かが失われてそれが補充されるまではアウトプットしにくい=生活の中で優先順位の低いブログを書くということは欲求としては隅に追いやられる、という状態だったようだ。

まだ回復してきっていないけれど、それに気づいたときにアハ体験(笑)的感動があり、少し脳内の何かが補充されたらしい。
気づきは大切だね。ということで書き留めておく。

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